幸せを呼ぶ母の声 ”Xoşbəxtliyə çağıran anamın səsi”
誰にとっても、生まれた日から死ぬ日まで、幸せは不幸に、不幸は幸せに、いつも変わります。私にとってこれは人生の法則です。もちろん子どもには、そんなことはわからないかもしれません。
私は子どもの頃、自分は世界でいちばん幸せな人間だと思っていました。いつか自分に不幸が訪れるとは、想像もできませんでした。
しかし、9歳のとき、はじめての不幸を味わいました。これまでの私の人生で最も苦しいことでした。私の家庭でとても大きな問題が起こり、私たちは家を売らなければならなくなってしまったのです。その家は、私の子ども時代の思い出がたくさん詰まった家でした。母が教えてくれた詩。父が買ってくれたピアノ。弟の誕生。弟との喧嘩。初めての誕生日会。そして料理を作りに来てくれた女の子との初恋・・・。
いろいろな人が出入りし、小さな幸せが毎日訪れる家でした。
私は、その売られてしまった家を見るために、苦しくて、せつない気持ちでいっぱいになり、いつも涙がこぼれました。家が売られてしまったという事実を、どうしても認めることができませんでした。家が失われたのと一緒に、私の幸せも失われました。そして、大切な友達からも離れざるを得ませんでした。心が痛み、私は笑顔をなくしました。この家は私の少年時代そのものだったのです。
ある夜、私が泣いていると、母が部屋に入ってきました。秋の初めの夜空には白い月がかかり、母はその月明かりを浴びながら、しばらく何も言わずに窓際に立っていました。時計の小さな音が部屋に響きました。母は私に毛布をかけてくれ、髪に口づけしながら、透き通った声で、「気にしないで。心配いらないから。」と言ってくれました。

母。成田空港にて、2014年7月
それまでの私の家族は問題の処理に追われて、私たち子どものことを気にかける余裕は誰にもありませんでした。あのときの母は、本当の母だったのか、それとも、夢だったのか。私にとっては、それはどちらでもいいことでした。母は私のことを、ちゃんと、覚えていてくれたのです。たった5分のことでしたが、それはとても不思議で、特別な5分間でした。

母、北海道にて。2014年8月
母の美しく響く声は、私の考えをすべて、根底から変えました。私は幸福な未来についてだけ考え始めました。「鳥は飛ぶために、人間は幸福になるために生まれた。」という言葉があります。人間は幸福を失って初めて、より大きな幸福を手に入れることができます。私は、前に進む力を得たのです。

母、地下鉄にて。2014年8月
私は今、本当にとても幸せです。皆さまのような立派な方々の前で、自分の小さな経験をお話しする機会をいただけるのは素晴らしいことです。
皆さんも、何か困難ことにぶつかったとき、両親や、まわりの人がしてくれたことを思い出してみて下さい。私は将来どんな不幸と遭遇しても、それを人生の試練と受け止めて、幸せを見つける努力をしたいと思います。
私は今年の夏休みに、その家があったところを再び訪れてみました。公園のベンチに座って、そのころのことを思い出していると、母の声が聞こえました。「アリベイ、そんなところで何やっているの。早く家に帰りなさい。」
ご清聴ありがとうございました。
アリベイ・マムマドフ(学部4年生)
日本語弁論大会
バクー国立大学にて
2008年10月