なぜ日本なのか。なぜ日本語を選んだのか。なぜ北大なのか。

なぜ日本なのか。なぜ日本語を選んだのか。なぜ北大なのか。

 日本に来てから3年半近くが経ちました。2012年4月2日より、北の大地で自らの人生を送っています。最初の1年間は、日本トップレベルの大学である北海道大学の研究生として滞在しました。その後修士課程のための試験を受け、合格したため、日本留学が2年延長され、現在は、博士課程で研究(研究テーマ:「北方領土問題とナゴルノ・カラバフ紛争の比較」)を続けており、また北海道大学留学生協議会の会長(二期目)も務めております。

今まで、周囲から「なぜ欧米ではなく、日本を選んだのか」、「なぜ英語やフランス語ではなく、日本語を選んだのか」、「なぜ北大なのか」とよく質問されます。今までは、その都度様々な回答をしてきましたが、この場をもって、その真相を明らかにしたいと思います。

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私はモスクワ国立大学の卒業生である両親の間に生まれた、モスクワ生まれ、バクー育ちのアゼルバイジャン人です。両親ともに歴史の教師で、当然ながら家の中で歴史の話はよくありました。また家への来客には歴史に関わる人が数多くいましたし、母が塾もやっており、歴史を詳しく勉強したい高校生等が毎年数十人も家に来ていました。私自身も歴史が大好きで、高校2年の時、アゼルバイジャン全国の共和国大会で第二位に輝き、その証明書も受け取りました。母親は日本史についても、一定程度の知識を有しており、いろいろと教えてくれました。アゼルバイジャンの学校でも、世界史の中で日本史は学びますが、一番大きな問題は高校で教わるのが1603年(徳川家康)以降の日本史だけであるということです。つまり、アゼルバイジャンの生徒たちは1603年以前の日本の歴史については何も知らないのです。そもそも、アゼルバイジャンの学生の日本に対する関心は希薄でした。なぜなら、私が学生の時代に(今もそうだが)、英語のブームがあり、私の周りにいた生徒や若者たちは、こぞって英語を勉強し、ある程度語学能力を習得し、欧米への留学を目指していたからです。もちろんその中には将来的に欧米に残り、仕事もそこでしたいという気持ちを持った生徒たちも数多くいました。みんな英語勉学に必死だったのです。私の場合も、彼ら同様英語を勉強し、行く行くは欧米に行きたいという気持ちもありましたが、その半面個人的には、欧米よりもアジアに興味があり、また親近感も感じていました。アジアの中でも特に憧れの国が二つありました。中国と日本です。

時は流れ、2005年夏に大学に入学するための国家試験がありました。その時私は、国際関係学部に入学し、そこで日本(または中国)のことを勉強し、行く行くは外交官になりたいという希望を持っていました。私は当該試験で、良好な成績を取ることができましたが、希望する学部に入学するためには手が届かず、結果的にバクー国立大学の東洋学部日本語学科に入学することとなりました。そこで、私は日本語や日本文学、日本文化、日本史等をより詳細に勉強できる機会を持ったのです。また、私はアゼルバイジャンとアジア(特に日本)、ひいては世界をつなぐ架け橋の存在になりたかったのです。そのために、努力したかったのです。

とはいえ、大学生活の最初の2年間では、そこまで優秀な学生ではありませんでした。それゆえ、同級生からも「なぜ日本語学科を選んだの?」、「あなたなら日本語じゃなく歴史が向いている」など言われたり、意見されたりもしました。日本から派遣されていた日本語の女性の先生も私にはあまり注意を払って下さいませんでした。また高校時代に私のことが嫌いで、私に向かって「あなたには成功なんて無理だよ」と言い続け、私が国家試験にも落ちると思っていた(結果的に私は国家試験の英語で25問中21問正解という彼女の生徒よりも良い成績を得ることができたのだが)当時40代の女性の英語の先生がいましたが、彼女は、私が日本語を勉強し始めてからも、「アリベイって英語ですら分からないのに、日本語勉学はどうせ無理だ」とおっしゃっていました。また、大学入学後間もなく、私の家庭内でも問題が起きました。性格の不一致により、父と母が別居することになったのです。そして、私自身も初恋の女の子に振られ、彼女と別れることになりました。彼女のお父さんが友人の息子と結婚させたのです。さらに当時の私の家庭の経済状況もとても苦しいものでした。これらの理由により、私はどうしても勉強に集中できないでいたのです。また当時の私は、精神的にもとても弱かったのです。読書もあまりせず、映画ばかり観ていました。一日3本も4本も見て、そのままパソコンの前で寝てしまったこともよくありました。-まだ、子供だったしね-16〜18歳の学生にはわからないことも当然たくさんあったのです。少なくとも、これらが当時の私の自分に対する言い訳でもありましたし、誰にも言えない理由でもありました。

それでも、私はどうしても日本人の先生に学生として好かれたかったのです。他の誰よりも先生に注意を払っていただきたかったのです。

3年生になり、新しい日本人の先生が派遣されました。今回は、男性の方でした。渡辺先生です。渡辺先生にはじめてお会いしたとき、心が動きました。渡辺先生は文学を専門とされていたのですが、哲学にも明るく、彼の日本語の授業は哲学的な雰囲気で行われていました。彼はとても深かい思想の持ち主だったのです。渡辺先生は私の人生においてとても偉大な存在となりました。彼からは日本語の勉強だけでなく、人間の生き方、人生、やり直すことの重要性などについてもたくさん教わったのです。また、私に様々な本を推めて下さったり、日本人や日本の文化についても、個別に教えて下さりもしました。渡辺先生には、感謝の気持ちでいっぱいです。私が精神的に強くなったのも彼のおかげでした。学部3〜4年は私にとって勉学における飛躍的な年となったのです。あの時、渡辺先生に出会えたから、そして、努力したからこそ今のアリベイがあります。

私の日本語学習に多大な貢献をして下さった先生はほかにもいます。当時大学で日本語を教えていたアゼルバイジャン人のヤシャール先生です。3年生になり、ヤシャール先生から個別に日本語の授業を受けることになりました。当初はヤシャール先生も私のことをあまり期待していなかったでしょう。ヤシャール先生の2回目か3回目の授業のときのことでした。私のテストの結果を見た先生が以下のようにおっしゃいました。

「アリベイ、あなたは頭がいい。頑張れば優秀な学生になれる。そして大きな成功を成し遂げることも可能だ」

また、同級生と一緒の授業などでも、私が様々な質問に的確に答えると、先生が私の同級生に向かって以下のようにおっしゃいました。

「見てごらん。アリベイは知っているぞ」「アリベイだけが正しく回答したよ」……

これらのお言葉が私に好影響を与えてくれました。そして、私はいつも自分のことを信じ続けました。精神的につらいときも、いつも自分の心の中で太陽が燃え続けていました。自分さえ頑張れば、誰よりもよく勉強できる、誰よりもうまく日本語で話せると思っていました。

また、私は漢字の勉強にも夢中になり、学部3年生の頃に、漢字を一番よく知っている学生として、周囲から「歩く辞書」と呼ばれるようになりました。鳥肌が立ちました。私はできたと。さらに様々なところからオファーが来るようになり、セミプロレベルの通訳者として知られるようにもなりました。

しかし、私は2009年に軍隊へ派遣されることとなります。アゼルバイジャンは徴兵制なので、健康な男性は皆軍隊に行かなければならず、違反すると逮捕されてしまいます。ルールはとても厳しいのです。派遣から1年を経て2010年7月に軍隊を無事終了し、バクーに帰りました。しかしそのときには、私の日本語能力もさび付いていたのです。「もうアリベイは復活できない」、「もうアリベイには無理だ」という噂も広がりつつありました。でも、私には誰にも負けないという自信がありました。

私は何事も必ずやり遂げられると、常に思っていました。私は勉強を再開しました。2009年にアゼルバイジャンに派遣されていた森先生をはじめとするバクーに住んでいた日本人や関係者と良好な関係を築きました。そして1年後にバクーにある日本大使館で行われる試験に臨みました。試験は2つありました。

そして双方の試験に合格し、その結果、日本語の勉強を始めて以来、初となる日本上陸が可能となりました。日本語研修のために大阪へ行ったのです。そこには世界63カ国から66人が参加しており、彼らは自国で優秀な学生ばかりでした。2週間程度の短期間の滞在でしたが、とても素晴らしい体験でした。

その後、2012年4月からの北海道大学への留学が決まり、日本政府から奨学金もいただけることとなりました。しかし、留学先の大学を決断する際は悩みました。なぜなら、一番最初に私を受け入れる態勢を整えて下さったのが早稲田大学、その後が九州大学で、北大は一番遅かったからです。また、北大から頂いた受入れ内諾書の内容は、他の2校と比べ、最もシンプルで、アバウトなものでした。それに加え、北大の指導教員から来た一番最初のメールがとても厳しかったのです。私は誤って同じ内容のメールを二回送ってしまい、そのことでお叱りを受けました。「同じ内容のメールを二回も送るな!」と。びっくりしました。当時バクーにいた日本人の友達にも「いや、この先生だめだな」「早稲田か九大を選びな」と提案されました。でも、私はなぜか北大が気に掛かりました。なぜなら、北大の先生は私の研究に一番近い方でしたし、また個人的にも留学生やアゼルバイジャン人が多く集まる関東や関西から距離を置き、静かな環境の下、誰にも邪魔されず勉強をしたかったからです。2011年の8月になりました。今から4年前の話です。日本大使館から、「アリベイ、決断する時期が来たぞ」というメールが送られてきました。もう、第一希望大学を選ばないといけないと言われ、私は腹を決めました。北海道大学を第一希望大学にしました。

私は北海道大学の留学生になり、英語でも日本語でも話せるようになりました。日本語で修士論文まで書けるようになりました。最高に気持ちがよかったです。私は日本のトップレベルの大学の一つである北海道大学で修士号を取得し、博士課程まで進むことができました。そして、2015年現在、すでにアゼルバイジャン人の中で、もっとも日本語が堪能な人と言われるようになりました。そして、勉学だけでなく、様々な分野で成功するようになりました。2014年5月15日に、1700人以上の留学生が集う北海道大学の留学生組織である北海道大学留学生協議会の会長に当選し、2015年4月23日には再当選しました。様々な日本のビジネスマンとも親しくなり、様々な活動をすることができるようになりました。5年前には周囲の人々は「無理無理」と言っていたのです。でも、自分のことを信じ続け、行動し、努力することで、無理だと思われたことを実現させました。

最後になりますが、そもそも私がなぜ日本、日本語を選んだかというと、

  1. 歴史家の家族で生まれ育ったことと、母に日本史についていろいろと教えてもらったこと
  2. バクー国立大学で日本語や日本文化を勉強したこと、そしてアゼルバイジャン人には未知である日本をよりよく理解したかったこと
  3. 日本語を手段として、日本とアゼルバイジャンをつなぐ架け橋の存在になりたかったこと

以上、私の日本語勉学における苦しみなどについての記事になりますが、まだまだ修正の余地があります。今は物事が変わっていて、当時見えてこなかったことなどもいろいろと見えてきているので、今までの経験を生かして、日本とアゼルバイジャンを繋げていきたいと思っています。

アリベイ・マムマドフ

2015年8月26日

北海道大学にて

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Author: Alibayli Alibay

"Nə olursa olsun, fəsillər bir-birini əvəz elədiyi kimi, hər bir iş də öz axarı ilə davam etməkdədir. Əsas odur ki, axardan kənara çıxmayasan". Əlibəy Məmmədov Sapporo, Yaponiya.

One thought on “なぜ日本なのか。なぜ日本語を選んだのか。なぜ北大なのか。”

  1. 「いいね」をしてくださった方々、ブログを読んでくださった方に感謝申し上げます。これからもよろしくお願いいたします。100人のうち30人に伝わったらいいですね。そしてそのうち一人が応援したくなれば最高ですね。私にとって、それに勝る幸せはないです。

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